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【インドをよく知る】


2) 歴史


9.ムガル後の18世紀のインド


 前回はムガル帝国の時代について記し、アウラングゼーブの死後、皇帝の統率力が衰えてきたところまででした。今回はその後の、独立前のイギリスのインド進出までを記します。歴史の回は、今回で終了といたします。


 ポルトガルは1498年のバスコ・ダ・ガマの来航以降、16世紀を通してインド貿易を独占していました。しかし17世紀に入ると、オランダとイギリスのインド進出が活発となり、17世紀後半には軍事力で、また貿易でもポルトガルを圧倒するようになりました。

 インドでは当初オランダがイギリスよりも優勢でしたが、イギリスがインドネシアから撤退して、インド貿易に集中するようになると、17世紀末までにはオランダをインドから追い出すことに成功しました。


 イギリスのインド貿易は、国王から貿易独占権を与えられた東インド会社が行いました。

 イギリスは1639年にマドラス(現チェンナイ)を獲得し、そこに要塞を築いて東海岸の根拠地としました。ついで1661年にボンベイ(現ムンバイ)がイギリス領となると、ここにも要塞を築いて西海岸の本拠地としました。加えて17世紀後半にはベンガル地方にも進出し、ダッカなどに商館を設けました。ベンガル地方は農作物が豊かであって、イギリスはベンガルやビハールの内陸部との交易に積極的に乗り出し、綿織物、絹織物、砂糖などがここから輸出されました。輸出額をみると、1680年までにベンガルはマドラス、ボンベイ地方をしのぐようになり、18世紀にはその重要性は一層増し、インドからの輸出総額の70%を占めるほどになりました。この地方でのイギリスの根拠地となったのは、カルカッタ(現コルカタ)でした。

 18世紀前半には、マドラス、ボンベイ、カルカッタは、イギリスがインド人を傭兵に採用し、インド人の移住が進んで、大都市に成長しました。


 18世紀に入って、1763年までのカーナティック戦争で、イギリスは遅れて進出してきたフランスに完全に勝利し、さらにムガル帝国にも各地で戦い勝利し、1764年には北インドの植民地支配を開始したのでした。


 19世紀前半にはイギリスの対インド貿易が自由化されたことで、イギリスから機械製綿織物がインドへ流入し、インドの伝統的な綿織物産業は破壊されました。さらに、近代的な地税制度を導入したことも、インド民衆を困窮させました。こうした要因から1857年、第一次インド独立戦争(セポイの反乱、インド大反乱)が起こり、イギリスはこれを徹底的に鎮圧しました。1858年イギリスはムガル帝国を完全に滅ぼし、インドを直接統治下におきました。1877年には、イギリス女王がインド皇帝を兼任するイギリス領インド帝国が成立しました。


 そしてイギリスは遠い本国からインドを支配し、ヨーロッパ文明の優越性を固く信じて、イギリスの制度と文物をインドに可能な限り導入し、インドの植民地統治体制を確立したのでした。そしてインドはイギリスの資本主義市場の中に組み入れられ、イギリス製品の市場、原料生産地となったのでした。


 しかし、民族資本家の形成に伴い反英強硬派が台頭したこと、ベンガル分割令への憤りなどから反英機運が一層強まっていきました。日露戦争における日本の勝利もインド人を勇気づけました。イギリスはインド人知識人層を懐柔するため、1885年には諮問機関としてインド国民会議を設けました。また独立運動の宗教的分断を図るため、親英的組織として全インド・ムスリム連盟を発足させました。


 しかし第一次世界大戦で自治の約束を信じてイギリスに戦争協力したにもかかわらず裏切られたこともあり、インドではさらに民族運動が高揚しました。そしてマハトマ・ガンディーが登場し、いままで知識人主導であったインドの民族運動を、幅広く大衆運動にまで深化させていきました。ガンディーが主導した非暴力独立運動は、イギリスのインド支配を今まで以上に動揺させました。第二次世界大戦では、国民会議派から決裂した左派のチャンドラ・ボースが日本の援助によってインド国民軍を結成し、独立をめざす動きを強めました。そして第二次世界大戦後の1947年に、インドは独立を果たすこととなりました。


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